セミリタイアの醍醐味は読書、のはず

 先日よりフリマアプリで不用品を売却しているのだが、その中にはもちろん本もたくさんある。

 既読か未読かに関わらず、もう読まないだろうと思った本については売却するようにしているが、もう読まないだろうと思っても、思い入れが強くて売る気にならないものもある。逆に何で買ったんだろうと思う本もあれば、買ったことすら覚えていない本もある。2冊あるものもある。積読にありがちなことだ。

 ともあれ、持っている本を整理しながらひとつ愕然としたことがある。ある本を手に取った時、「これは面白かった」とか「この本は勉強になった」という感想は覚えているのだが、肝腎のその内容を殆ど覚えていないものがとても多いのである。

 前々から思っていたのだが、例えば夢を見ていても起きたらその内容を覚えていないように、本を読んでいても、読んでいる間はもちろん内容や前後を把握しながら読んでいるのだけど、読み終わって外界に戻った後は、それが小説であれば主人公の名前すら憶えていないことが多かったりする。実用書でも同様である。多分使っている脳の場所が違うのだろうと勝手に思っている。

 夢の場合でも、起きてすぐに夢の内容を復習すれば覚えていられたりするから、本を読み終わった後に総括すれば良いのだと思う。例えば読書ノートを作るなどしたら知識の定着率は大きいのだろうけど、あいにくそういうことをやってこなかった。そうでなくても、複数回読むのでもいいし、読んだ後に各章毎にその内容を自分で説明してみるのでもいい。そういった少しの手間を惜しんで結局何も残っていないのだから、今となっては何という損失だろうと思うけど、本を読む時は本を読むことそのものが快楽だから、それ以外のことに時間を使いたくないし、未来の自分がそこまで記憶を失うなんて思っていない。というか未来の自分ははっきり言って他人だから、そこまで他人のために面倒なことをしてあげたりしない。

 そうして、読み終わっているはずなのに内容が頭に残っていない本が大量に本棚に並んでいる。それらのうち、もう興味がなくなった分野のものは速やかに売却することができるが、今現在でも興味が失われていないものであれば、手放す訳にはいかないと思ってしまって本棚に残すことになる。読んだはずなのに整理が進まない。というか、我ながら本棚に面白そうな本がたくさん並んでいる。どれもすぐにでも読んでみたい。

 セミリタイアした直後は、気力も低くてひたすら本を読んでいたのだけど、気力が低いせいで、頭を使わない娯楽小説や漫画の類ばかり手に取っていた。しかしいざ気力が回復すると、頭を使うような本を読み始める代わりに、また本をあまり読まない生活に戻ってしまった。例えば料理したり、不用品をせっせと出品したり、ブログを書いたりと、セミリタイアしたらやろうと思っていたことをしている。そのせいで読書ができていない。このブログの初めの方で、セミリタイアの醍醐味は読書だとまで書いたのに、この状態は非常に不本意である。意識的に読書時間を生活のどこかに設定した方が良いかもしれない。先日手に取った『LIFE SHIFT』も、少しだけ読み進めてそこで止まってしまっている。

 昔は寝る前とか電車の中とかでひたすら本を読んでいたものだけど、今はその時間にスマホを見ていることが多くて、毎日少しずつ、累計すれば膨大な時間を無駄にしているのだと思う。

 セミリタイア後の生活の組み立て方について、この点からも考えていきたい。

メンタルヘルス

次の記事

猫と犬