傘の進化

 大学時代、一般教養で確か人間工学の授業を受講していた。その授業を担当していた教授は、天才肌で少しエキセントリックな雰囲気の先生だった。その先生との接点はその授業だけで他の授業は受講したこともなく、またゼミなども取っておらず、選択した専門分野も異なっていたので、その人となりを把握するほど知っているわけではなかったが、「ちょっと変わった人だな」というのが友人達との間での共通認識だった。私のゼミの担当教授もどちらかといえば天才肌で常識にとらわれないタイプの人だったのだが、上記の教授と仲が良いという話を聞き、類は友を呼ぶのか、やっぱりね、と思ったものだった。

 今日は雨と風の強い日だった。

 こういう日には上の人間工学の授業のワンシーンを思い出す。ちなみに人間工学については全く詳しくなく、授業の内容もよく覚えていない。人間の認知を研究して商品開発やデザインに取り入れるような趣旨だったと思う。

 その日の授業についても前後の内容は全く覚えていないが、確か、最近の商品開発におけるアイディアの紹介のようなものだった。「この傘は布の部分がメッシュになっています」、とイラスト付きの資料で教授が説明していた。

「メッシュにすることによって、強風でもあおられない傘となっています。」

「ただ、メッシュにすることによって雨を防げないため、傘を差していても濡れてしまうというのが最大の欠点で、今後この部分をどのように克服していくのかが課題となり・・・」

 教授は真顔で淡々と説明していた。一方我々学生達は、少なくとも私の友人達は、一瞬呆気に取られた。そして次に笑いをこらえることとなり、授業が終わった後はすぐにその話で盛り上がった。もちろんそのアイディア自体はその教授のものではないし、ゼロベースで考えていくことが商品開発には必要なことなのだろうと思う。しかし、風にあおられないために傘をメッシュにした結果として雨に濡れるというのは、我々学生にとってはむしろ笑い話というかお笑いのネタになりそうな性質の内容だったし、その内容を淡々と話す先生について、友人間で「やっぱりあの教授は変わり者だ」という認識を更に強めることとなった。「頭のいい人ってやっぱりどこか変なんだね」とも。

 この傘の話の印象が強烈で、その後の人生においても、暴風雨に遭うたびに思い出していたのだろう。結果として、ほとんど覚えていない大学時代の数ある授業の中で、自分の専門分野でもない一般教養の授業のこのワンシーンが今でも頭に残っている。

 繰り返しとなるが、今日は雨と風の強い日だった。

 強風というのは、川のそばとか高いビルとビルの間などにおいては、その地形的要素から影響を受けるのか、更に強くなるものだ。自分の生活圏の中で、ここは危険だと認識している場所がいくつかある。強風の日にその場所を通って傘の骨が折れたことが何回かあった。

 今日もその場所を通った。

 今日差していたのは、数年前のある冬の日、仕事中に急遽コンビニで買ったビニール傘だった。家を出たときは降っていなかったのに、ある仕事を終えて建物を出たら大雪が降っており、急遽近くのコンビニに飛び込んだ。普段は持ち運びのことを考えて軽量タイプの折り畳み傘を常用しているのだが、コンビニだから選択の余地も何もなく、あったものを買った。

 しかし結論から言えば、このビニール傘は値段以上の価値があった。「折れない傘」という売り文句が付されていたと思う。その日は風は吹いていなかったので、そのすごさを実感したのは後日だった。この傘は、骨の部分に柔らかい材質が使用されており、強風にあおられても折れずにひっくり返っておちょこ傘のようになる。そしてすぐに元に戻すことができる。何があっても本当に折れない。私の傘を何本も駄目にしてきた例の危険地帯を通っても折れない。

 よく台風や暴風雨の次の日、抜けるような快晴の中で道端に骨の折れたビニール傘が物悲しくうち捨てられていたりするが、この傘が普及すれば、あの光景を目にすることは今後なくなるだろうと思えるような傘だった。とはいえコンビニ傘だから、せいぜい数百円だったはずだ。折れないので数年たった今でも愛用している。もし破れたりして使えなくなったら、是非ともまた同じ商品を購入したいと思っている。

  三度目となるが、今日は雨と風の強い日だった。しかしこの傘のおかげで平気だった。例の危険地帯を歩きながら、今まさに差しているこのビニール傘のすごさをまた改めて実感していた。そして次に、冒頭に書いた大学時代の傘の話をまた何回目かで思い出した。ふと、このふたつの話をひとつのブログにまとめてみようかと思った。傘にまつわる小ネタ集ということで。

 そして次の瞬間あっと思った。このふたつの話は、二つの独立した小ネタではなく、もしかしたら連続しているのではないか。

 「風にあおられない傘」というテーマの商品開発において、私が大学生だった時代に考案された「布部分をメッシュにする」というアイディアは残念ながら重大な欠陥をはらんでいたが、その後、今度は布部分ではなく骨部分に着目し、その材質を変えることによって、見事目的を達成したのではないか。そして商品化され、コンビニに置かれ、おそらく全国各地で密かに人々を感動させているのだろう。傘の使い捨て化を抑制し、ごみを削減することで環境問題にも幾分かは寄与していることと思う。いろんな人たちがアイディア捻出のために頭を絞ったことだろうし、試作品もたくさん作られただろう。

 その結晶として無事にこの世に生まれた素晴らしいこの傘が、数百円で手に入るというのは、本当にありがたいことである。

 メッシュの傘と骨の柔らかい傘、これらの研究が連続していたのか並列していたのかは知る由もないが、このビニール傘の恩恵を充分に受けている今、もしこの傘が創り出されるためにメッシュでできた差しても雨に濡れる傘の存在が必要だったのであれば、先生、あの時笑ってごめん、と言いたくなってくるのだった。