音と文字

 大学の時に私が所属していたゼミの担当教授は、『あっという間に』という言葉を口にする時、「あっというまに」ではなく「あっというあいだに」と読んでいた。

 私達学生の前で楽しそうに何かについて話していたその光景と「あっというあいだに」という言葉は映像としてよく覚えているのだが、案の定、話の内容自体は全く覚えていない。ちなみに、以前このブログで書いた傘の話の教授と仲の良かったという教授だ。傘の話といいこの話といい、つまらないことが記憶に残っているものだ。

 何度かそれを耳にして、「この人は会話でこの言葉を覚える前に文字を読んで覚えたのだろうか」などとその頃は考えていた。

 ただ、今日このことをブログに書くにあたり、もしかしたらこの教授ではなく教授の家族か誰かがそういう言い方をする人だったのかもしれないとも思った。あるいは『あっという間に』をそう読むのが標準である地方がどこかにあるのかもしれない。

 何故なら、『あっという間に』という言葉は日常的によく使われる言葉だし、児童書は漢字にルビがふられているから、『間』にルビが不要となる年齢まで口頭でのこの言葉を耳にしたことがないというのは考え難いと思ったからだ。

 まあ、考えたところで事実は分からない。

 また、私の祖母はよく「せーらして」という言葉を口にしていた。「ら」にアクセントがあるので、発音としては「正座して」が一番近いのだけど、文脈から考えるとおそらく「精出して」だろうと推測していた。「せーらしてやれよ」といったように使う。祖母自身、「ら」の部分を平仮名の「ら」として発音していた訳ではなく、祖母の両親など他の人間が発していた言葉を、そのまま音で覚えて再現していたのだろうと思う。

 そうやって、当たり前だけど、言葉を覚える時には音から覚える時と文字から覚える時がある。方言などは音から覚えることが圧倒的に多い。

 私は子供の頃、「あからさま」を「あらかさま」だと思っていた。文字で読んで覚えたので、順番が入れ替わってしまったのだろう。その後、自分の認識が間違っていることは分かったが、ではどちらが間違いだったっけと迷う時期もあった。

 「あからさま」は「あきらかである」という言葉の派生語だろうから「か」が先なのだけど、「あらかさま」だと「あらわになる」と関連するように思えなくもない。幸い、今はちゃんと覚えた。

 また、「カシミア」のことを「カミシア」と言ってしまい、友達に笑われたこともある。これも、音より文字で先に知った言葉だ。もちろん、一度きちんと発音してしまえばちゃんと覚えられた。

 英語をもっと勉強したいと思い、それこそ社会人になっても自分なりに何らかの形で勉強していたのだけど、一番手っ取り早くかつ楽しく継続できる方法として、何年もずっと海外ドラマを観て英語の勉強もするように心掛けていたら、徐々に聴き取れるようになり、音で把握できるボキャブラリーが増えた。しかし音で聴いているので、スペルが分からない。英語は日本語のように音と文字が一対一で対応していないから、適当にスペリングしてみても違うことが多い。だから、聴き取れた単語をきちんと把握したいと思って辞書を引こうとしても、その単語に行き着くのにまず苦労する。和英辞典で逆から当たってみても、該当する単語に出遭えないことも多い。一度、どうしてもスペルが分からなくて、最終手段として音声検索の言語を英語に変更してそれらしく発音してみたら、探していた単語がそのまま表れた時には感動した。

 だから英語字幕で観れば良いのだろうと思って変えるのだけど、英語字幕だけで内容が充分に把握できるほどの英語力は私にはまだない。英語習得だけを優先してドラマを楽しめなくなるのもつまらない。一回観たドラマならいいかと思って英語字幕にしたりもするが、最終的にドラマをもっと楽しみたくなって日本語字幕に戻してしまう。そこで我慢して継続すれば違うのかもしれないが。大体、英語字幕は速すぎて読み切れない。学生時代にはリーディングが学習の主体だったのに、社会人になってリスニング主体でずっと英語に触れていたら、読む能力がすっかり鈍ってしまったようだ。そう思ってたまに気が向いた時に洋書を読んだりするけど、継続するに至っていない。

 一番いいのは、日本語字幕と英語字幕を両方表示することだ。昔、PCにプリインストールされていた再生ソフトでその機能があるものがあったので重宝したが、今はそのPCを使っていないし、有料のソフトを買うほどでもないし、第一もうDVDでドラマを観ない。 

 そう考えると、英語を母国語とする人たちは、音で聴くのと綴りの練習が両方必要になって大変だなと思う。と思ったが、日本語も、平仮名片仮名は音と文字が一対一だからいいけど、漢字となると別で覚えなくてはいけないから、苦労は同じかもしれない。

雑記

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