ありのままを受け止めるとは
去年の年末に、飼い猫の去勢手術をした。
当日は午前中に獣医さんに預けに行き、手術をしてもらい、夜に引き取りに行った。
朝にキャリーケースに入れる時、猫は特に疑いもせずに中に入った。車に乗せられると少し鳴いたが、今から何が起こるのかは当然分かっていなかった。やがてクリニックに到着して、私がキャリーケースごと預けて置いていく時にも、置いていかれることすら分かっていないように静かにしていた。
夜に引き取りに行って家に戻ると、猫はいつものようには鳴かず、ずっと無口だった。猫は思ったよりよく鳴く。寝ている時以外はしょっちゅう私に対して何かを伝えようと鳴いている。だから全く鳴かないのは異常なことだと思えた。知らない場所で知らない人に体を触られて得体のしれないことをされたのが怖かったのだろう。
私は、「あんな怖い場所に連れていかれた! この飼い主は信用できない!」と、少なくともしばらくは猫に警戒されるだろうと思っていた。
ところが実際にはそうはならなかった。翌日には猫はいつもどおりの口数に戻り、代わらず私に対してそれなりの信頼感を持ち、私のそばを安心できる場所だと認識しているようだった。
うちの猫は2021年5月生まれなので、今が生まれて初めての冬だ。
冬に猫に触ると、しばしば静電気が走る。その瞬間、私は「あっ」と思う。ばちっと音がするし、少し痛みもある。一方、猫は気にしていないように見える。だから当初は毛のせいで人間よりも衝撃を感じにくいのかと思っていた。
しかしよく見ると、ぱちっと静電気が走った時にはっと避けるような仕草をすることがある。衝撃は感じているようだった。
うちの猫にとっては初めての冬だから、当然、静電気も初めてだ。そんな現象があるのだと知っているはずがない。親猫と一緒だった時期は夏だったから、親猫に教えてもらった経験もない。
であれば、もしかしたら「飼い主に痛いことをされた!」と思ったりするのかもしれない。最初、私はそう思っていた。
でも、猫は特に私に怒ることもなく、その後も撫でられるのを避けることもなかった。あまりにも普通なので、最初は気にしていないように見えたのだ。
考えるまでもなく、上の想像は私の価値観、世界観で成り立っている。私にとってその解釈が選択肢に含まれるからこそ、他者に対してもそう想像する。
でもきっと猫は何かが起こった時に、例えば不愉快なことが起こった時に、それが何故起こったのかとか誰のせいだとかは考えない。ただ受け止めて、可能な範囲で対処するだけだ。
そう考えないのはそう考えるだけの知性がないのだと言うことは簡単だけど、でもむしろそういう姿勢は少し見習うのがいいのかもしれない。
私は普段から、SNSなどですぐに「社会が悪い」「政治が悪い」「国が悪い」「企業が悪い」「親が悪い」という方向に結論付けられるのがあまり好きではないなと思っている。
でも、私が猫だった場合に、静電気を感じて「こいつに嫌なことをされた!」と解釈するのであれば、上の考え方と似たり寄ったりなのかもしれない。
もちろん、具体的な解決策を考えるために原因を分析してみるのは大事なことだ。
でもそうではなくただ他責思考の結果として誰かが悪いと言ってみたり、またはそこに過度な被害者意識が生まれたりするのは建設的ではないと思う。
話は少し変わるけど、例えば子供は自意識過剰なので、ある日友達が挨拶してくれずに通り過ぎた時、「無視された、嫌われている」と短絡的に考えがちだ。
そして大人は、「でもお友達はもしかしたら考え事をしていたのかもしれないよ、あなたに気付かなかったのかもしれないし、お腹が痛かったのかもしれない」と諭したりする。
友達はあなたの人生を楽しいものにするために存在している訳ではなく、友達自身の人生を生きている。
社会も人も、自分とは無関係に動く。
だから、何か自分にとって不愉快なことがあったとしても、その多くは自分にはコントロールしようがないし、全てが自分に都合よくはできていない。
そういう場合、起こった出来事をただ受け止めて、自分にとって可能な範囲で対応する。
大人になるにつれてそんなことも分かっていたつもりだったけど、あらためて猫を間近で見ていると、どこか頭でっかちだったというか、一般論としては理解していても自分が充分に実践できていないことに気付かされた。
「猫は私のせいだと思って怒ったかもしれない」と考えるということは、何かがあった時に私も反射的に相手に悪意があったと考えがちだということだ。それは別に驚くことではない、昔の私はよくそう考えていたから。
その頃よりは大人になってはいるけれど、それでもまだまだ足りないのだろう。今でも日々つまらないことで苛立ったりしていて、それはそうやっていちいち原因を追求する思考からきているのだろう。
だから猫が物事にどう対応するかを身近に見て色々と感心したし、うち猫のようにありのままを受け止める姿勢を少し見習ってみたらいいのかもしれないと思った。
ちなみに、猫がかわいいので他のことが割とどうでも良くなるという意味では、私も既にだいぶ穏やかになっていると思われる。またひとつ大人になった。
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