内向的な人は独り言口調になる

1.SNSでの日記の書き方には2種類ある。他人に語りかけるように書くか、独り言として書くか。他の人のそれらを見て、この人は社交的な人だなと思ったり、自分自身を深く掘り下げているなと思ったりする。

 他人に語りかけるように書くということは、当然誰かが読んでくれることを前提にしているということで、ある意味では勇気がある態度だと思う。もっとも、社交的な人はそんなことが勇気だとも思わないくらい自然発生的に人間関係を作るのかもしれない。

 私自身は、いつしか独り言としてしか書かないようになってしまった。大昔のSNSでの投稿を見返すと「みなさんこんにちは」で始まるものもあったりしたが、今ではそんなことはできそうにない。今継続しているいくつかのSNSでは、基本的に他者との交流をしていない。twitterでは他人をフォローして情報は得るが、自身にフォロワーはおらずただ独り言を記録するのみだし、インスタグラムは単に写真の保管庫として使用している。facebookは面倒になって既に使用していない。ひとつだけ継続しているマイナーなSNSでの独り言調の日記に対してたまに他の人がコメントをくれることはあり、そんな時にはお返事したうえで、たまに相手の日記にもコメントしに行く。でもこれが頻繁になると面倒になって継続が危ぶまれるので、あくまでたまにの範疇に収めておくのが良い。毎日複数人とコメントのやり取りをして、「みなさんこんにちは」で始まる日記を書く人を見ると、本当に社交的だなと思う。

 ブログはというと、自分自身はほぼブログをやったことがないが、今まで読ませてもらった他の人の様々なブログの中でどちらが好きかというと、他人に直接語りかけるようなものよりは、著者自身の頭の中の何かを誰に伝えるでもなく書き連ねているようなものの方が面白いと思えることが多かった。

 もちろん、原始的な(古来ノートにしたためられていた)日記でさえ誰かに読まれることを前提に書かれていると言われるくらいだから、それこそブログなんて他人に読まれることを前提にしているのは当然だけど、でもその中でも他人の反応を当てにせず/目的にせず/意思決定の根拠にせずに書かれているものの方が面白いと思う。

 という訳で、当然このブログも、書き続けられるとすれば独り言調で続いていくことになる。ただし、そもそも無事継続できるかどうか現時点で全く不明である。今まで何回かブログに挑戦したことがあるが、もれなく挫折してきた。もし今回は継続できるだろうという理由らしきものを上げるとすれば、ちょうど今月頭からセミリタイアっぽい生活に突入したところで時間がある(であろう)こと、ここ数年で人間関係を意識的に収縮してきており、意識が自分の内側に向く時間が増えていることくらいだろうか。

 そして仮にもし継続できたとして、誰の何に役に立つとも思えないこのブログを誰かが読んでくれるということを当然の前提と思えるような自信は今の自分にはない。だからもしこれと同じような状況で「みなさんこんにちは、初めまして」で始められる人がいるとしたら(たくさんおられるのだろうけど)、その著者の持つ、根拠を必要としない他者への信頼は、人生においては財産だと思う。少し羨ましく思う。

2.ブログである以上(しかも独り言調である以上)、個人的な思考や経験を書いていくことになると思うが、個人の属性に関する事項についてはなるべく触れないようにしていきたい。もっとも、それらがどの程度両立可能なのかはやってみなければ分からない。

3.当面は毎日書いた方がよいのだろうから毎日書く。しかし毎日書かなければならないと決めてしまうと書けなかった時に継続のモチベーションが損なわれる。といって毎日は書かなくてもよいと考えるとこの1回のみ書いて次が永遠に来ないということが充分あり得る。

 なので、両者のデメリットを勘案して、毎日書くという目標をとりあえず形式的に掲げておきながら失敗には寛容であるという辺りがもっとも継続につながると考えられる。

 なお、それでも結果として継続に失敗したのであれば、もうこの先の人生においてブログに挑戦することはやめておくべしと考えることにする。