入れ替えて新しくする

 「最近ブログを書けていないな」というのはもうだいぶ前から認識していることで、今現在1か月以上更新できていない。
 しかし実はこれでも折に触れて書こうとはしていて、記事を書きかけて途中でやめてとりあえず保存、ということを何回もやっている。今見たら、書きかけの記事が十以上も下書きに保存されていた。

 一応『セミリタイアっぽい生活』と銘打っているから、セミリタイアに関連した内容のものを書こうかな、などと思うと失敗する。
 何故か考えてみると、私がセミリタイアという状態に意識的でないからかもしれない、と思った。自営業なので、「セミリタイアした状態」と「単に仕事がない(少ない)状態」の区別がつきにくい。
 だからブログタイトルも『セミリタイアっぽい生活』と「ぽい」が付いていたりする。

 セミリタイアっぽくなった当初は、それでも「セミリタイア後の生活リズム」「メンタルの状態」「健康を維持するには」など、セミリタイアにまつわることを色々と考えていたし、それについてブログの記事にしたりもしていたのだけど、一年以上経てばすっかりこの状態が「当然」になってしまって、特に何も考えていない。ついでにいえば資産運用のこともあんまり考えていない。
 仕事を減らして空いた時間で趣味活動を楽しんでいて、頭の中はそういった趣味に関することでいっぱいになっている。そちらにリソースが集中しているから、とりあえずこのブログを更新しようと思って記事を書き始めても完成させることができていないことが続いている。

 でも、まあブログを書けないという問題はさておき、セミリタイアっぽい生活において、セミリタイアという状態そのものではなく日々の活動の中身の方に頭がいくというのは、ある意味ではセミリタイアの成功ではないか。
 今充分に幸せだと思うから、もう一年半前になるあの時、仕事を辞める(減らす)決断をして正解だったなと思う。


 かなり前に断捨離したことがあった。
 正確に言えば、その時はいわゆる『断捨離』はまだ世に出ていなくて、カレン・キングストン氏の提唱する『スペースクリアリング』に関する本を読んで興味を持ったのだけど、考え方は多分かなり似ていて、自分の所有している物、あるいは人間関係や時間の遣い方など、惰性で持ち続けているものを見直し、不要なものを手放して幸せになろうという感じだった。
 物や人間関係を手放すと、自分の所有する総量が減る、という訳ではなく、空いたスペースに新しいものが入ってくる、と書いていたように思う。新しくて、その時の自分により必要な・ふさわしいものが入ってくる、というイメージだ。

 セミリタイアもそういうイメージだなと思う。
 仕事に費やす時間が減ったけど、それは「減る」というマイナスの現象ではなくて、代わりに何か新しいもので少しずつ空白がまた満たされていっている。空いた時間には何か新しい活動に充てられて、暇を覚えることはない。
 自分を消耗させるものとか楽しめないもの、不要なもの、もう合わないもの、余剰のもの、そういうものを捨てる。セミリタイアにおいては主に仕事や仕事関係の活動、人間関係だ。そして自分に扱える量だけを残したり新しく増やしたりする。空いた時間は仕事でなくても何か興味を持った活動に充てる。だから暇になることはない。
 収入も、必要な分だけは稼ぎたいけれど、余分に稼ぐ必要はもう今後はない(若い時に余分に稼いでいたことは良かったと思う。今こうしてセミリタイアできている訳だから)。使いきれない量の物を所有するのをやめ、必要な分だけに絞るのと同じだ。

 セミリタイアと断捨離は全く別の概念というか、別の場所に存在している気がするけれど、本質は同じで、自分自身の生活を充実させようとすれば、思考停止して惰性で続けていたものを見直し、本当に必要なものだけを選ぶという作業に最終的には行き着くのだろう。

 ちなみに、当時断捨離(スペースクリアリング)した時も、いらない物を処分した代わりに新しく興味を持ったものなどを購入したり、本を売って別の本を買ったりしたので、物はある程度は減ったけれど、減ったままの状態が維持されていた訳ではない。私はミニマリストにはなれないなと思う。物がない状態をとにかく良しとすることはできなくて、必要なものは持っていたい。
 仕事も同じだ。フルリタイアではなくてセミリタイアでいるのは資金的な事情からではなく、働くことは様々な意味で有益だと思っているからだ。余剰を生み出すほど働く必要はないけれど、自分に必要だと思える程度には働いていたい。まあ、当面は。
 いつフルリタイアするかは、またもう少し先に考える必要がある。

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