『精神と時の部屋』にいた頃

 精神と時の部屋とは、例の武闘派たちが修行のためにこもる部屋のことだ。もちろん部屋と言っても、いざ入ってみればそこには何もない。見渡す限り何もない。自分が出てきた小屋がひとつあるだけだ(うろ覚えだけど)。
 あるいはエヴァンゲリオンのあのシーンでもいい。ふわふわと浮いていて何もなかったところに、「不自由をやろう」という声と共に一本の線が引かれ、それによって重力が生まれた、あの感じ。

 自分自身が大学を卒業した直後の心理的状況を思い返すと、いつも『精神と時の部屋』のような何もない中に、自分一人がぽつんといるイメージがある。

 新卒で就職しなかったので、私には「こうしなければならない」ということがほとんどなかった。もちろん、食事によって定期的に栄養を摂取するとか排泄はトイレでするとか、そういうものは別だけど(当たり前だ)。

 どこに行って何をするか決まっていないから、何時に寝て何時に起きるかも決まっていない。どんな服を着るかも、誰と交流を持つかも、あるいは何をしてはいけないかも決まっていない。
 そもそも働くかどうかも決まっていない。世間の常識では、健康で学校を卒業した人は大抵働くけれど、自分がそれを選択するかどうかはまた別だ。
 働くとして、いくら稼ぐかも決まっていない。いくら稼ぎたいのか。そのためにはどんな仕事を一日何時間するのか。その仕事に就くためにはどういった知識や技能が必要になるのか。
 どういった知識や技能を自分が持っているのか。
 もちろん新卒の社会人未経験者が既に持っているものなんて大したものではない、これから身につけていくことが大前提だ。
 とすれば、自分はどういった知識や技能を身につけたいのか。自分は何が得意なのか。自分は何に向いているのか。
 自分は何が好きなのか。自分は何がやりたいのか。
 自分はどういう人生を歩みたいのか。
 自分にとっての幸せとは何か。

 大学卒業時にそのまま新卒枠で就職しなかった私には、あらためて上のような問いに真正面から取り組む時間と必要があった。これはとても幸運だったと思っている。自分にとっては新卒プレミアムを未使用のまま捨てただけの価値があると思っている。
 といって別に、最初から自分自身の幸せが明確になったとか、自分の進むべき道が定まった訳ではなく、現実的には、その後も限られた選択肢の中で試行錯誤していた。
 ただ、この時間があったから、私は社会に出てからの人生をかなり主体的に、自分中心軸で考えて過ごすことができた。ある仕事をする時、常にそれは自分自身の選択だったし、それによって得た環境は自分が選んだものだと思っていた。
 
 逆に、もし大学卒業時にそのまま就職するという流れに乗っていたらどうだっただろう、と考えたことがある。
 その環境に入ってしまえば、なかなかそれ以外の選択肢が見えてこなかったかもしれないと思ったりする。前提として既に存在しているそのたくさんの決まり事や制度、ルーティンをあらためて考え直すことが難しい。
 まずそこに環境があって、それに合わせて自分の方を変形させてしまう。それだって人生の中で必要だし有益な適応力だと思うけど、あまりにそれに慣れ過ぎてしまうと自分自身を見失ってしまうリスクもある。うまく適応共存できていればいいが、そうでなければ心身の健康を損なっていたかもしれない。そしていざ心身の健康を損なった時に、環境を変えることが必要以上に困難に思えていたかもしれない。必要のない敗北感を覚えていたかもしれない。

 あまり自分以外の人のことをどうこう言える資格はないのだけど、最近、世間での色々な人の発言を見るに、どうも自分自身を無条件に被害者とみなす主張が蔓延している気がする。
 それを見る度に、「この人は主体的に生きていないのだな」と思う(失礼なことを言って申し訳ないが)。
 主体的に生きていれば、明確な犯罪や権利侵害の被害を受けてでもいない限り、例えばどこかの会社に雇用されていること自体を『被害である』と捉えないと思うからだ。
 そんなにその会社が嫌だったら辞めたらいいのにな、と嫌味ではなく本当にそう思うのだけど、そういう場合、大抵は「辞めたくても辞められない、こんな社会が悪い」みたいに、次は社会に対して被害者の立場を取られることが多いように思う。
 どうしようもない現状の中で自分自身を何とか肯定するための手段としてそういう考え方が必要な場合もあるとは思うけど、あんまりその立場に身を置くことに慣れ過ぎてしまうと、努力しないことを正当化して何の改善も成長もないままに時間が過ぎていってしまうのではないかと思う。

※ただ、これが『強者の論理』であるのかどうかは、やはり考えないといけない。
 こちらでも文末に書いているけれど、全てが「努力でどうにでもなる」というのは、多分違うのだろう。
 でも、可能な努力まで放棄して被害者のままでいるのも、やっぱり幸せでないとも思う。

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