人間関係にまつわる思考の欠如

 今朝、目を覚ますか覚まさないかの夢現の状態で、昔のことを思い出した。
 かつてばりばりと仕事をしていた頃、仕事上の人間関係では色々と面倒なことや一筋縄ではいかないこともあって、そんな状況の中で自分は絶えず色々と考えていたことを。

「この人は表面的にはこう見えるが、実はこういう性質を持っているのだな」
「こういう人とはこういう態度で付き合おう(あるいは付き合わないようにしよう)」
「この人のこういう態度は今まで培われてきた生存戦略なのかな」
「自分のこういう性質は人間関係においてはこういう結果をもたらしがちだな」
「結局、人間と人間である限りはこうなのかもしれないな」
「自分はこの部分は不得意だし、それは自分の価値観と結びついている限りは今後もがらっと変えることはできないのだろうな」

 他人とある程度濃密に関わればどうしても何かの軋轢が生じるし、そういう状況では何かを考える必要が出てくる。
 人間関係をもっと円滑に保てるようにしたいと思ったり、あるいは自分自身の欠点を自覚して改善したいと思ったり、なるべく冷静に状況を把握しようとしたり、自分を守るために不愉快な出来事から心理的距離を取ろうとしたり、人間関係とはXXであるといった自分なりの結論を得ようとしたり、本を読んで得た知識を現実世界で応用してみようとしたり。
 その頃は絶えず何かを考えていた。

 今朝、夢現でその頃の「絶えず何かを考えていた自分」を思い出した。
 そして、今の自分はそういうものから解放され、その結果、何も考えなくなってしまった、と思った。
 何も考えることなく、どんどん馬鹿になっていっている気がする。
 そうやって、どうもここしばらく軽く鬱々としている。
 
 鬱っぽくなるとマイナス思考になる。
 今のマイナス思考はこうだ。
 せっかく自由な時間がたくさんあるのだから何かしたいと思う。観て楽しむなどの受動的な何かではなく、自分自身が主体的に取り組む何かがしたい。
 一方で、私は歳を取るにつれ、徐々に自分が実は頭が悪いということに気付いた。そして上にも書いたように、それは仕事量を減らしてストレスがなくなっていくにつれて拍車がかかっている。
 といって、今はまたフルタイムで働くなど絶対にやりたくないという心境だ。毎日ある程度の時間働くことは生活を規則的にしたり、他者とのコミュニケーションをもつ機会となったり、通勤や業務で身体的負荷(運動量)が増したり、課題解決のために頭を使って脳を活性化したり、タスクがあるからこそ得ることのできる成功体験によって自己肯定感が向上したり、金銭的報酬を得ることができたり、その金銭的報酬がまた自己肯定感の向上につながったり、そしてこうやって余計なことを考えずに済むようになったり、数えきれないくらいのメリットがある。
 それは分かっているが、少なくとも今はまだそれを実行するだけの気力がない(この先死ぬまでないかもしれないが)。

 仕方がないので、次善策として仕事以外で何かに取り組みたいと考えてみる。
 ところが、自分が頭が悪いと思っていると、何をしてもどうせ上手くできないだろうと思ってしまう。これが今回のマイナス思考の根幹だ。
 上手く、といっても他者と比べる訳ではない。でも何かをやる時、例えば絵を描く時、「よし、いいものが描けた」と自分自身で思うことができるというのは、絵を描いて満足を得るのに必須だと思う。少なくとも過去の自分は何かを楽しむ時に自分なりにそういう満足感を得ていた。「他者より」上手い必要はないが、自分の中では「良い」ものでなければならない。明日見ればがっかりするようなものであっても、今の自分が恍惚とできることはあるし、その瞬間は重要だと思う。

 でも、それができる気がしない。何故なら自分は頭が悪いから。

 自分が本当に頭が悪いかどうかは重要ではなくて、でも過去の自分よりは頭が悪くなっている気がするし、そう思ってしまうほどにいつの間にか自己肯定感が低下しているのかもしれない。

 と、そう言い続けていても仕方がないので、色々と考えた結果、もう少し読書量を増やそうという結論にひとまず達した。
 この場合に読む本は、何かを考えるきっかけとなり、何かを学ぶことのできる本だ。
 セミリタイアする前は仕事が忙しくて、そしてセミリタイア後は気力がなくて、ほとんどそういう読書ができていなかったのだけど、また少しずつ読んでいこう。
 子供の頃ならそんな決意をしなくても息を吸うように本を読んでいたのになあ、などと後ろ向きに考えるのはやめて、とにかく今の自分にあった何かをしよう。
 やろうと思えば時間はあるのだから、また読書の習慣を取り戻していきたい。

※何故こんな風にマイナス思考の穴に落ちてしまったかというと、オリンピックがあったからだと思う(セミリタイアの自由さを活かして毎日観ていた)。更に言えば、同時期に猫を飼い始めた。
 その感動の日々が終わってしまった後、ふと物足りなさを感じて、でも考えてみればここしばらく得ることのできていた感動は自分自身が何かして得たものじゃないし、自分自身は主体的に何かに取り組んでいるのか、みたいなことを考えるようになったからだ。
 ちなみにセミリタイア直後からとある趣味活動をしていて、ある作品を創っていたのだけど、それがちょうどオリンピック直前に完成した。
 そして再びその活動をしたいけれど、家に猫がいると何かに集中することが難しかった、というのもある。
 こちらも、何とか猫が寝ている間にでもまた時間を作っていきたい。

そして今どういうジャンルの本を読みたいかと言えば、こんな感じ。

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