猫と犬

 今日書こうと思っている内容は、タイトルから予想される内容に反して、とても暗いものになりそうである。こうやって暗いことを考えている時は気力が落ちている時である。しかし、良い状態も悪い状態も書き残しておくのが日記だと思うので、暗いままの内容を書こうと思う。

 子供の頃から動物を飼ったことがない。しかし飼ってみたいと思っている。犬も猫もどちらも好きだしどちらも飼いたいが、どちらかといえば猫の方が好きである。しかし猫を飼うとインドアに拍車がかかるのではないかと思って、犬を飼えば毎日の散歩で自分も健康になれるのではないかなんて皮算用をしたりする。

 でも、飼った後に本当に最後まで面倒を見ることができるのかどうかが分からない。そう思って何年も保留にしている。「いつかは」と思って実行に移していない。この度セミリタイアっぽい生活をするにあたり、もちろん再度検討してみたのだが、やはり今ではないという結論に達した。「今ではない」と言っているうちは永遠に今なんて来ないと思う。雨の日に箱に入れられた仔猫達を見付けて、自分が飼わないとどうしようもないようなそういう運命的な出会いがあればいいのになんて他力本願に考えたりもする。だから、ずっと飼いたいと思ったまま、結局死ぬまで飼うことはなかったということも充分あり得るのだろうと覚悟している。

 もちろん、仔犬や仔猫を可愛がるのは簡単である。更にその後数年間にわたって、健康な動物と一緒に暮らして、愛情を与え与えられる日々が楽しいものになるのは想像に難くない。

 でも、いよいよ彼らが老いて介護が必要になった時、または病気になって治療が必要になった時、私は投げ出さずに精一杯のことをしてやれるのだろうか。自信がない。おそらくそこに至るまでの愛情を充分に経験していれば、こんなことは考える余地のないことなのかもしれないけれど、まだその部分は未経験だし、今現在の自分を基準にして考えるしかないから、できると言い切ることができない。というかそもそも、仮に飼うことを決意して保健所や里親会などに出向いたとして、そこで「この子は可愛い」「この色がいい」「もう少し若い子がいい」などと取捨選択することがもう不遜で傲慢なことのようにも思える。そうやって外見的な面を見て、私には本当に彼らに愛情を注ぐことができるのだろうか、と自分自身の他者を愛する能力そのものを疑ってみたりすらする。

 逆に、結果として充分に愛情を注ぐことができたのだとしたら、それはそれで、いつか必ず来るべき別れに耐えられるのだろうか。もちろんどんなに辛くても耐えられると思う。というか耐えられないというのは具体的にはどうなることを意味するのか、彼らが存在しなくなった生活を続けることができなくなって自分で命を絶つということか、と考えると、そこまではしないと思う。だから表面だけ見れば耐えることができる、というか耐えるしかない。しかし、そもそも初めから飼わなければそういう困難を経験することはない。

 こうやって物事の暗い面ばかり見てしまうというのは、率直に言って損をしていると思う。しかし損か得かに関わらず、自分の中に疑いがあるのであれば、そこをクリアしてからでなければ生き物を飼うことはできない。初めからこんなことを考えない人間(無責任という意味ではなく、生き物を飼うことに付随する責任も別れの悲しみも考慮するまでもなく当然受け入れた上で飼うことの幸せに目を向けることができる人間)であれば話は早かっただろう。

 でも、まだ「いつかは」と思っているうちはいい。今ではなくても、そのうち自分の考え方が変わって、あるいは運命的な出会いを経て、将来愛すべき動物たちを飼うことができるかもしれない。そうやって希望を持っているうちは、まだ最悪ではない。

 自分自身の年齢における平均余命が飼いたいと思っている動物の平均余命(プラス数年)より短くなる歳がリミットだろうか。いや、自分自身が健康を保つことができる年齢を考慮して、もう少し早く設定しておくべきか。