永遠に続くものなんてないらしい

 何かに夢中になっている時、その気持ちはずっと続くとつい考えてしまう。

 しかし、実際には続かず、時間が経つにつれてどこかで興味が薄れていく。趣味、好きな曲、好きな本、スポーツ、習い事、人間関係、あらゆるものがそうだ。それを「飽きる」という。

 実際のところ、今このブログに対してそういう状態でいる。

 セミリタイアしてから新たに始めたものがこのブログを含めていくつかあるが、今現在、それら全てについてペースが落ちている。その代わり、読書の時間が顕著に増えている。読書はセミリタイア前の数年間にわたって遠ざかっていた趣味だ。それが復活している。同じように、セミリタイア後に始めたはいいが今ペースが落ちているものも、多分またそのうちやりたくなってくると思う。それまではいったん保留にしておけば良い。

 今までの自分を振り返れば、飽き性というほどの短期的なサイクルではないにせよ、私の興味の対象はある程度移り変わっていった。それは、既存のものに飽きたということもあったが、それ以外の何かに新たに興味が出てきたということもあったと思う。

 そして今回ふと思ったのだけど、色々なことに興味を持ってそれらを心ゆくままに楽しむためには、「飽きる」という心の作用は非常に有益なのではないかということだ。それのおかげで、少数のものに固執せず、有限の時間をより多くの対象に遣うことができる。

 しかしこのブログだけは別で、どう違うかというと、ブログというものは継続することが重要である(はずだ)。一時期気力が低下していた時には、このブログを書くことで考えを整理することもできて、それが非常に役立った。気力が低下していると、主にマイナス方向にではあっても思考量が増加するから、ブログを書くにはもってこいだし、単にマイナス思考の渦に飲み込まれていた時よりも、ブログというはけ口を持つことでプラスの作用も得ることができたと思う。

 だから、またそうなった時のために、このブログも自分の持ち札の一つとして保持しておきたい。しかしそのためには、他の趣味のように、いったん止めてそのうちまた再開という訳にはいかない。精神的に好調である時の内面についても書き残しておくことが何らかの意味を持つこともあるだろう。第一、これまで何とか2か月ほど続いた。捨ててしまうには惜しい。なので、書き続けるしかない。

 気力が回復している時にも、とりとめのない思考とも言えない何かは頭の中にあるだろうけど、それを時間をかけてブログに変えることの優先順位が低い。それでも、何とかもう少し書き続けてみたい。

 それにしても、気力が低い時にばかり筆が進んで、いざ気力が回復するとすぐにブログ以外のものに気を取られるのだから、結果として過去の記事が暗いものばかりになってしまっている。「また気力が落ちた」とは書いていても、逆に気力が向上している時の記録はないから、まるで毎日ひたすら地を這うような生活を送っているかのような印象を受けるブログになっていることに気付いた。まあ仕方ないけど。