語彙が不足している

 文章を書いていると、自分の表現したい微妙なニュアンスを的確に表せる語彙を思い浮かべられないことがたまにある。割とある。

 人間は言語を用いて思考するし、日本語ひとつ取ってみても語彙は無限に(一個人が全て網羅するのは不可能だろうと思えるほどに)ある。そして別の言語にも同様に語彙はあって、しかも異なる言語間で翻訳してみるとぴったりと一対一で対応する訳でもなく微妙なニュアンスのずれがあったりもするから、それこそ語彙によって表される概念は無数にあるといえる。その証拠に、何かを言う時に英語の語彙の方が先に思い浮かんでそれを上手く日本語に変換できないということもたまにある。

 それでも、自分の表現したいことをやっぱり充分に表現できないのは何故かと考えると、その95%くらいは当然、私の語彙力不足に起因する。しかし残りの数パーセントが存在する。一つは、そもそも人間の感情、感覚等の詳細なフラグメントそれぞれに対応する語彙はやっぱり存在していないのではないかということである。そしてもう一つは、言語以外の表現方法による感情表現として類型化されたものがあったということである。何かというと、漫画である。

 私は芸術的才能に恵まれていないので、音楽で表現するとか絵画で表現するとか、そういう抽象的な表現方法をここでは意味していない。

 物心ついて以降ずっと本を読んできたが、それに少し遅れて漫画も読み始めた。好きだしよく読む方だと思うので、漫画的表現も不自由なく理解していると思う。

 私が文章を書いていて、具体的なニュアンスは自分の中に存在しているのに上手くはまる語彙が見付からないという時、それは漫画で描けば解決するようなニュアンスであったりする。漫画的表現で典型的なもので言えば、顔に縦線とか頬の赤らみ、ためらいを表す唾的なもの、集中線、余白、台詞を細切れにするふきだしその他多くのものがあって、それは生きている個人の持つ言語化される前の状態の生の感情であるがゆえに上手く語彙に当てはまらないと言ったものではなく、ある程度類型化されているものである。だから大勢の読者が理解できる。しかし文章にすると語彙が見付からない。

 具体例を挙げれば、私は今回、「ある程度親しいが、普段は大抵メッセージでのやり取りばかりでほぼ電話しない関係性の人から珍しく電話が掛かってきて応対した」時の状況を、「〇〇な声で電話に出た」と書きたかった。それ自体は本題ではないので、長々と詳述するものではなく、端的に一つの語彙で表したかった。しかし思い付かなかった。

 最初に出てきたのはもちろん、「驚いた声で」だったが、別にそこまで驚いている訳ではない。「怪訝な声で」も違う、そこまで訝しんでいない。「興奮した声で」も違う。シンプルに「大きな声で」「上ずった声で」も違う。『もしもし?』と応対する時の尻上がりの声に含まれるであろう、「いつもは電話なんか掛けてこないのにどうした、何かあったのだろうか。珍しい。でも一般的に言えば電話するのはそこまであり得ないことでもないしまあいい、何か事情でもあるのだろう、ひとまず本題を聞こう」というニュアンスを端的に表現するにはどう言った語彙が当てはまるのだろうか。

 結論としてはもちろん思い付かなかったので、「少し驚いた声で」で妥協しておいた。そして、なんでこんな困難が生じるのだろう、としばし考え、上の結論に至った。漫画であれば多分、眉を上げ目を見開いた表情を作ることで、かなり的確に処理できるのではないだろうか。

雑記

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